本堂
最大10台程の駐車場、冷暖房完備。
座椅子にて法要を行っております。最大収容人数は60名~80名程。
書院に30名程。
中二階になっており大きな葬儀や行事の際は300名ほどの焼香を受け付けた事も御座います。
お寺で葬儀が可能な広さです。
本尊 釈迦如来 脇侍 迦葉尊者 阿難尊者
大正12年9月 | 関東大震災にて焼失 |
昭和20年3月 | 東京大空襲にて焼失 木造厨子入り |
昭和22年 | 秩父円福寺末、廃寺より譲り受け |
昭和53年 | 本堂建時宮殿入りに |
平成18年4月15日 | 開山三五〇年遠忌に合わせ 釈迦如来像(作/藤沢桑山賀行氏)(塗/秋田平成産業)開眼法要厳修 脇侍 迦葉尊者像 阿難尊者像(作/桑山賀行氏) |
本尊は御釈迦様、脇侍に御釈迦様の御弟子である迦葉尊者像 阿難尊者を安置しております。御釈迦様は平成十八年に開眼法要、多治見の虎渓僧堂師家、萬仭軒老大師、向嶽寺管長猊下、瑞松軒老大師を招き厳修。当山第十三世宗玄和尚が復元、制作を大本山南禅寺、山門内、三尊仏釈迦如来像を元に、桑山賀行氏に依頼し、復元、制作されました。
福徳辦財天 大黒天 毘沙門天 十五童子付き
大正12年9月 | 関東大震災にて焼失? |
昭和20年3月 | 東京大空襲にて焼失? |
平成14年 | 復元、開眼(作/桑山賀行氏) |
平成16年 | 大黒天、毘沙門天復元、開眼(作/桑山賀行氏) |
本辦財天は月洲寺開基瑞光院寿圓尼が先祖代々金澤家に伝わり奉られていた辦財天を月洲寺を開山するに際して安置された辦財天でございました。
この辦財天は金澤家所蔵(元は北条家所蔵の出世辦財天)で、その謂われは往昔(そのむかし)弘法大師、江の島金龜山への参籠の砌(みぎり)、天女の爾現(じげん)によって彫刻したるものでした。その後北条時政以後九代の信仰を受けしものと言われておりました。江戸時代までは社に安置されておりましたが、明治の初めに神仏分離政策の為に明治十年の境内地図からは消えてしまっております。
寛永四年、東都歳時記の記載によると江戸辦財天百社参りの七十二番札所であり、大正十二年五月発行の下谷総覧には記載されていた為同年九月の関東大震災、または昭和二十年三月の東京大空襲にて焼失したものと考えられます。
そのことを踏まえつつ当山第十三世宗玄和尚が復元、制作を江の島金龜山境内、岩本楼に安置されている辦財天(最勝王経大辦才天)を元に復元、制作されました。平成十四年に開眼、今も壇信徒並びに皆様を見守ってくれております。
大黒天、毘沙門天の制作は桑山賀行氏
皆様の福徳を願い護持する事を見守ってくださっております。
御朱印も御座います
墓地
月洲寺では現在、新規墓地区画を分譲しております。
入り口には弘化四年より伝わる満願地蔵菩薩が優しく参詣者を見守っております。
平成元年に区画整理致しております。
下町の人情溢れる地域の皆様の中、故人も、御参りいただく皆様も安心して寄り添えあえる境内を志しております。
詳しくはメール、お電話でお問い合わせください。
三界萬霊塔
大きな石棚が内部にあり、御遺骨を御一族ごとの合祀、または個人の御遺骨ごと納骨させていただいております。「三界萬霊塔」とは命ある全ての存在を供養いたします。また、月洲寺にお墓をお持ちの御檀家で無縁になってしまった場合、この三界万霊塔に改めて埋葬いたします。
現在、老朽化に伴いこの三界万霊塔の改修工事を計画しております。まだ計画段階の為、完成予定がいつとはいえませんが、皆様に安心していただける様精進して参ります。