東京台東区竜泉にあるお寺です。

月洲寺沿革

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月洲寺について

月洲寺は東京都台東区竜泉に位置する臨済宗南禅寺派のお寺です。

月洲寺は江戸時代の初め明暦元年(1655年)程に金地院住職最岳元良和尚が自らの投老の地として創立した小寺で金地院住職退任後の隠居処、隠寮寺となっておりました。震災、戦争等の焼失により、文政元年以降の過去帳のみしか残っておらず、寺に正しき歴代住職の過去帳は残っておりません。東京、金地院住職退任された閑栖和尚方を歴代住職としております。

口伝として大興禅師を師匠と置き、僧録職の庶務をこなす方が集まる寺院であったと言われております。又、住職無き時は金地院住職が兼務されておりましたが、実際は金地院塔頭、松月庵の尼僧の方や弟子の僧侶の方々が住まわれたと言われております。

日光街道に続く為、将軍の足洗場、脚を休める場所であったとも言われております。
当山九世までは過去帳に無く、暫定住職となっております。

月洲寺 瑞光山ト號ス

一、住所 

現在は「東京都台東区竜泉二丁目十五番十一号」昭和四十年よりこの番地は変わらず
過去に遡ると役所の都合により変更
武蔵國豊島郡下谷龍泉寺村二十五番地(明治十年)
東京府東京市下谷区龍泉寺町四百七番地(大正十二年)
東京都台東区龍泉寺町四百一番地(昭和二十年)

一、禅 臨済宗

一、本山 瑞龍山 大平興国南禅禅寺 末寺

現在住所 京都府京都市左京区南禅寺福地町
山城國愛宕郡東山南禅寺村(明治十年)
開基   亀山法皇
開山   大明国師 無関普門禅師
開創   南院国師 規庵祖円禅師
中興開山 本光国師 以心崇伝禅師

一、開山 正宗大興禅師
 
金地院住職第二世最岳元良禅師
勅謚正宗大興禅師
南禅寺の住職にて寛永十年六月十七日台命を以て(一六三三年)
 金地院住職僧録職を兼補し、投老の地として自を創立する所の小寺にて従前寺格之なし
 明暦三年四月十五日示寂す(一六五七年)

一、開基 瑞光院寿圓尼

正徳中北条氏の臣(家来)金澤相模守貞將の裔(スエ 子孫)、金澤軌貞の妻

歴代住職

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開山 最岳元良和尚 明暦元年   金地院退寮
             明暦三年   四月十五日 示寂
二世 笠隠崇寛和尚 延宝元年   十月 金地院退寮
             元禄十年   六月二十三日 示寂
三世 玉隠元札和尚 正徳三年   十二月 金地院退寮
             享保十八年  十二月六日 示寂
四世 香山元郁和尚 寛保三年   五月 金地院退寮
             延享四年   九月十六日 示寂
五世 天桂元真和尚 宝暦五年   八月 金地院退寮
             安永七年   二月二十六日 示寂
六世 熈叟元雍和尚 天明七年   十二月十日 金地院退寮
             天明七年   十二月十六日 示寂
七世 章山元甫和尚 享和三年   二月十六日 金地院退寮
             享和三年   二月二十六日 示寂
八世 湿潮元洵和尚 文化元年   九月七日 金地院退寮
             文化元年   九月十六日 示寂
九世 中谷元梗和尚 文化十年   十一月 金地院退寮
             文化十一年  九月六日 示寂
ここまでを金地院史を参考にした住職としております。
 
また、御府内寺社備考にはこの様に記載されています。
京都南禅寺末 下谷龍泉寺町
瑞光山月洲寺、境内東叡山御年貢地280坪内4畝3歩寛延3年上野ヨリ御除地。
起立相知不申候。
開山勅謚正宗大興禅師、年号不知正月十五日寂。金地院二代目。
中興義天恩和尚、延享三年十一月二十三日寂。
再中興龍川珍和尚、文政三年十月十九日寂。
本堂、釈迦如来木坐像、左右地蔵薬師各立像。
鎮守弁財天社、弁天座像左大黒天右毘沙門天十五童子附。以上丙戌書上(御府内寺社備考より)

中興義天恩和尚、再中興龍川珍和尚はどの和尚を指しているのかは調査中。

一、 歴代和尚
過去帳に記載されている僧侶、尼僧 松月庵は金地院塔頭の尼僧庵

1817年
(文政元年)
5月 安室妙金法尼 祠堂金 壱両
1823年
(文政6年)
7月 鉄門玉輪禅尼 松月庵
1828年
(文政11年)
7月 定光禅者 当寺弟子
1829年
(文政12年)
正月 本堂妙光禅尼 松月庵
12月 慈眼妙意禅尼 松月庵
1833年
(天保4年)
8月 石哲禅尼 松月庵
12月 梅芳沙弥尼 松月庵
1836年
(天保7年)
12月 祖方禅尼 松月庵
1837年
(天保8年)
2月 月霜妙光禅尼 大成尼 弟子
2月 妙遵禅尼 大成尼 弟子
3月 恵法幼尼 心明尼 弟子
4月 妙了禅尼 松月庵 弟子
6月 秀法比丘尼 松月庵 弟子
1838年
(天保9年)
2月 凾梵童女 心明尼
4月 春英禅尼 松月庵 弟子
1847年
(弘化4年)
3月 潭山金丈禅尼 松月庵
1849年
(嘉永2年)
3月 影花童女 玉成尼 弟子
1851年
(嘉永4年)
10月 大空了機禅尼 玉成尼 弟子
1855年
(安政2年)
10月 玉宝泰林尼 玉成尼 弟子
10月 園山玉林尼 玉成尼 弟子
1905年
(明治38年)
1月 恵勝禅童子 塩野道詮の息子
1917年
(大正6年)
4月 前住 当山十世 硯隆詮禅師 塩野道詮
1944年
(昭和19年)
9月 南禅住持 当山十一世 妙道宗超和尚 高橋宗超
1984年
(昭和59年)
8月 南禅住持 当山十二世 泰厳宗器和尚 河又宗器

一、住職経歴
諸災による過去帳焼失以降の住職の経歴
第十世 硯隆詮禅師 塩野道詮
明治の後半に留守番として月洲寺に住む。明治三十八年一月に死亡の息子、四谷の祥山寺に嫁いだ娘、戦後に袋井の照雲寺に住職として拝命された子供と三人の子供が居られた。

第十一世 妙道宗超和尚 高橋宗超
下谷の高徳寺の弟子、塩野道詮の後に住職として月洲寺に入る。昭和十九年に遷化されるまで教化に勤めた。昭和十五年に満鉄に勤めていた夫を失った吉田好子と結婚、連れ子に後に岐阜に住む清。その嫁に了源院の娘が嫁ぐ。義兄妹に吉田万次郎。

第十二世 中興 泰厳宗器和尚 河又宗器
東京金地院の弟子、昭和二十二年七月に月洲寺住職を拝命。栃木県茂木山内、明治三十九年に生誕。昭和三年第一銀行に勤める。昭和八年金地院の弟子に。昭和九年、岐阜多治見、虎渓僧堂に掛搭。その後昭和十年、京都嵐山、天竜僧堂に掛搭。昭和十三年、八王子上恩方村、龍泉寺に住職。昭和十五年タイに渡る為にパーリ語を東元氏に学ぶも戦中の為、渡航出来ず、埼玉野火止、平林僧堂に掛搭。昭和二十二年七月、月洲寺住職を拝命。諸災害でボロボロのバラック造りの荒れ寺を見事立て直す。昭和五十三年本堂再建、昭和五十八年庫裏再建。昭和五十九年八月に遷化。壇信徒からの信頼厚く、大人にも子供にもしっかりと怒鳴れる実直な和尚であった。天竜僧堂時代の同参に稲葉心田老大師、大森曽玄老大師、宍戸宗英氏等。

第十三世 道器宗玄和尚 河又宗玄
月洲寺弟子。昭和二十三年に東京葛飾にて生まれる。昭和三十三年秋に宗器和尚の弟子に、昭和四十一年岐阜県多治見の虎渓僧堂に掛搭、吸江室老大師の元、五年間研鑽を積む。昭和四十八年副住職に、昭和五十九年、宗器和尚遷化の後住職に。平成元年墓地区画整理、平成九年、本堂南に駐車場増設。平成十四年福徳辦財天安置。平成十八年、開山三五〇年遠忌に合わせ本尊、脇侍の開眼法要厳修。他仏画、諸整備等、月洲寺に尽くす。平成二十五年、第十四世に住職の座を譲り閑栖に。

山号

一、山号 瑞光山(ずいこうざん)
一、寺名 月洲寺(げっしゅうじ)
一、開基 瑞光院寿圓尼
一、開山 正宗大興禅師(最岳元良和尚)  寛永十年(一六三三年)
一、本山 瑞龍山 大平興国南禅禅寺
一、宗派 臨済宗南禅寺派 第二十七部 末寺
一、住所 東京都台東区竜泉二-十五-十一

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